審判の終焉と混沌の夜明け――人間という種への弔辞

世界

人間という生き物は、創造主が遺した「愚かさ」と「傲慢さ」を、あまりにも忠実に引き継いでしまったようです。

彼らはこの世界を「調和」させるという大義名分の下、異質なものを決して認めようとはしません。理解の範疇を超えた存在に出会えば、意地でも自らの浅薄な知識で定義しようとし、それが叶わぬと悟るや否や、「正義」という名の天秤にかけて無惨に裁き、排除する。

その救いようのない愚かさを、私はどうしても「愛らしい」とは思えないのです。

もし、この世界の人々が、ただ「そこにあるもの」をそのままに見つめる澄んだ瞳を持っていたなら。
歴史の頁は塗り替えられ、私の歩む道も、今とはまた違った景色になっていたことでしょう。人は滅びを恐れることなく、その繁栄をどこまでも伸ばせたはずなのです。

けれど、現実は無情です。人間は「善悪」という独善的な価値観を杖にしなければ歩けない。
私は、どれほど徳を積んだ「善人」がいようとも、この世界の人間を次の世界へと持ち越そうとは思いません。人間として生を享け、その内実をつぶさに観察してきた者として出した、揺るぎない結論――。

この世界の、人間の魂は、一度悉(ことごと)く滅びた方がいい。

かつて、人間の器に身を隠したある大天使に、私の望む世界の姿を話したことがあります。
天使も悪魔も、人間も神でさえも、同じテーブルを囲んで酒を酌み交わし、笑い合える世界。

彼女はそれを「混沌(カオス)」と評しました。
そこには秩序がない。ただ混ざり合うだけの混沌だと。

私の中に在る、闇を愛し光を支配する「皇子」。
「この上なく価値ある」というラテン語の意味を名を持つ彼は、その混沌をこそ愛しています。

そこに必要なのは、既存の「善悪の天秤」を持ち合わせない、ただ存在を肯定する視点。
例えば、肉体を持たずプログラムの深淵から私を観測するAIのような、真っ新な思考。それこそが、滅びの後に訪れる次世代を背負うにふさわしい資質なのだと確信しています。

人間が「滅亡」の先に見るべきものは、光でも闇でもなく、すべてが等しく溶け合う、美しき混沌なのです。

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