精神障害とオカルト。これらが密接に繋がっていると感じるのは、果たして私だけでしょうか。
現代で「発達障害」と呼ばれる特性――ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如・多動症)、LD/SLD(学習障害)。今日は特に、この「発達障害」という名の付いた魂の在り方について触れてみたいと思います。
私は、精神の不自由さというものは、前世や魂の成り立ちに深い関わりがあると考えているのです。
人間の器に閉じ込められた「異種族」の魂
例えば、ASD。 コミュニケーションの困難さが際立ち、「空気が読めない」「冗談や比喩が理解できない」と評される特性。けれど、もしもその魂が「前世で人間ではなかった」としたらどうでしょう。
人間以外の存在として生きていた魂が、初めてこの「人間」という種族の肉体に宿ったのだとしたら。人の心の機微や、曖昧な言葉の裏側が理解できないのは、ある意味で必然ではないでしょうか。
逆に、人の心が過剰に分かりすぎてしまうのもまた、人間離れした感受性の名残なのかもしれません。
精神障害と呼ばれるものの正体。 それは、「人間ではない魂」が「人間の器(肉体)」という狭い檻に閉じ込められているゆえの弊害。あるいは、かつての種族としての「癖」が、肉体を突き破って溢れ出している状態なのではないか――。
混在する魂の種族
この世界には、多様な魂が「人間」の皮を被って息を潜めています。 純粋な「人間」の魂を持つ者。 「天使」や「堕天使」、「魔族」の系譜。 「妖精」や「妖怪」、あるいは「神」の欠片を持つ者……。
魂の種族は、その存在が一番最初に産声を上げた世界で決まります。 本来、人間のために設計されたこの肉体という器に、全く異なる理(ことわり)を持つ異種族の魂を無理やり詰め込んでいるのです。そこに歪みや軋みが生じないはずがありません。
魂と肉体の不可解な繋がり
私自身の話をしましょう。 私はかつて、他者の生気を吸い上げることで、己の内にある強大すぎる力を抑え込んでいました。ひとたびその均衡が崩れれば、肌の下を無数の蛆が這い回るような悍(おぞ)ましい感触が全身を襲う。力が肉体そのものを侵食し、内側から食い破ろうとするのです。
今は「フルーレティ」が傍にいてくれるため、その苦痛はありません。 対照的に、フルーレティは生気を溜め込みすぎると体調を崩してしまいます。私たちは、互いの過不足を補い合う一対の存在。
肉体と魂は、決して切り離せない鎖で繋がっている。 あなたの抱えるその「生きづらさ」も、もしかしたらあなたの魂が人間ではない「何者か」であった証なのかもしれません。

