あれは、もう二十五年ほど前のことだ。
栃木の田舎道を、当時の彼氏──いまの夫──が運転する車で走っていた。
特別な夜ではなかった。ただ、暗い道を家へ向かって帰っていただけだ。
けれど、その何でもない帰り道で、私たちは“説明のつかないもの”を見た。
人でも動物でもない。形を持たない、しかし確かに“動いていたもの”。
あの夜のことは、今でもはっきり思い出せる。
二本の棒──時速60キロの車の前に現れた“足だけのもの”
あれは、二十五年ほど前のことだ。
栃木の田舎町を、当時の彼氏──いまの夫──が運転する車で走っていた。
夜の道は暗く、街灯も少ない。ただ、ヘッドライトの白い帯だけが前方の闇を細く切り裂いていた。
車は時速60キロほどで、一定の速度を保っていた。
特に変わったこともなく、ただ田んぼの脇を走っていただけだ。
■ 土手の上に「二本の棒」が動いていた
そのとき、視界の端に妙なものが映った。
土手の上を、細長い二本の棒が並んで動いている。
棒は、まるで人間の足のように、交互に前へ出ていた。
だが、胴体はない。影もない。
ただ、二本の棒だけが、夜の土手を走っている。
私は夫に声をかけようとしたが、言葉が出なかった。
その動きが、あまりにも“足そのもの”だったからだ。
■ 直角に、車の前へ飛び出してきた
次の瞬間、二本の棒は動きを変えた。
まるでこちらに気づいたかのように、土手を駆け下りてきた。
そして、ありえない角度で進路を変えた。
時速60キロで走る車の前へ、直角に飛び出してきたのだ。
夫はブレーキを踏んでいない。踏む暇もなかった。
それほど一瞬の出来事だった。
だが、衝撃はなかった。
何かをはねた感触も、音もない。
ただ、そこに“いたはずのもの”が、ヘッドライトの光の中から消えていた。
夫は前を見たまま、低い声で言った。
「……今、足だけだったよな」
■ 25年後、本で同じ話を見つけた
その出来事は、長いあいだ記憶の底に沈んでいた。
思い出すこともなく、語ることもなく。
ところが最近、雲谷斎さんの本を読んでいたとき、私は手を止めた。
「二本の棒のようなものが、夜の土手を走っていた──」
その一文を見た瞬間、胸の奥が冷たくなった。
あの夜の光景が、まざまざと蘇ったのだ。
■ あれは、何をしていたのか
二本の棒は、確かに足のように動いていた。
だが、あれは人間ではない。生き物でもない。
この世のものとも思えない。
ただひとつ、今でも不思議なのは──
時速60キロで走る車の前に、あれは“追いついてきた”ということだ。
あの夜、あれは何を追っていたのか。
そして、なぜ私たちの前に現れたのか。
答えは、今もわからない。

